「勉強しなさい!」を止めてみよう。

肘をついて外を見る子供

新潟はまだ8月の下旬ではありますが、夜はもう秋の気配がして来ました。夏休みが終わり学校が始まります。

新潟市や新潟県内の小学生や中学生、高校生の親御さんのみなさんは子供たちを見て、子供たちが「学校が始まるなぁ。」と少し気が重たい気分いつ印象でしようか?それとも「さぁ。しっかり学校生活を過ごすぞ!」と言う意気込みに見えますでしようか?

私の小中高校時代を思い出すと、どちらかと言えば前者の「学校が始まるなぁ。」と言う勉強への後ろ向きな気持ちだった印象があります。そんな様子を見てついつい親御さんは「ちゃんと勉強しなさい!」と言いたくなります。

しかしこの「勉強しなさい!」はドラえもんののび太ではないですが、子供たちの学習意欲に対してほとんど効果が無いのは皆さん経験済みと思われますので、今日は、勉強に子供たちが向き合う意識を育てるために親としてどんな事を考えていったら良いかを考えてみようと思います。

私が家庭教師のお世話でご家庭にお伺いして子供たちの学習の状況をお聞きする際に、よくご父兄からお話をいただく言葉があります。「私が教えても勉強に気持ちが入らないみたいで。。」「私が勉強の面倒を見ると言う事を聞いてくれなくて。。」と言うような内容のお話なのですが、このお話を聞いて家庭教師の仕事をしている私自身でさえ、私の子供に勉強を教えていて多くの親御さんと同じように思う時が何度もあります。とお話しています。

1番子供の将来を考えて心配してくれるのは、その子供の親御さんであることは間違いないのに、その気持ちはなかなか伝わらず、むしろ子供たちはどこ吹く風。しかも、親御さんが言うほど子供には響かないと言う感じである事がとても多いのですね。

どうも子供たちには両親は「勉強しなさい!」を言う立場。そんな風に思っていて、親が心配する気持ちは当然なこと程度に捉えている節があります。

ですから多くの家庭で、子供に勉強を教えたり手伝いながらも「勉強しよう!」と言う自発的な気持ちを子供たちから感じる事が出来ずに四苦八苦されていて、ついつい『勉強しなさい!』と言う言葉が出ているのだなぁ。とご父兄のお話から感じます。

私の子供はまだ上が小学3年生なので、まだ少し早いと思っていますが、小学校の高学年になった時には、子供が勉強する事に対してしっかり子供が価値観を持ってくれるように色々な事を話して行かなくてはならない。と考えています。

その話は、私が家庭教師のお世話して勉強を教えている子供たちに私が、出来るだけ噛み砕きながらお話をしている勉強の意味と言う内容に近いものですが、子供たちが自分なりに勉強に対して価値を見出すために、私たち大人が子供たちに対して必要だと思う勉強への考え方をしっかり持たせてあげなくてはならない。と私は思っています。

具体的に、どんな事を子供たちに話してあげる必要があるかと言いますと、「勉強しなさい!」の角度を変えて「『学ぶ』『知る』『出来る』と言うこと」をしっかり子供たちに分かるように話し、大人がその力を本当に大事だと考えている。と言うことを子供たちがしっかり認識出来るようにして行く作業が必要なのだと思います。

よく、私たちは子供の親として「勉強は将来必要だ。」「勉強は将来のため」と言うお話や「高校や大学に入るためでもあり」更には「就職して仕事に就くため」と言った角度から子供たちに対して勉強の意味を持たせがちです。

それはそれで、勉強の理由として間違ってはいないのですが、果たして子供たちはそう言う話を聞いて、勉強への意欲・やる気を自らの意思で出して行くことが出来るのだろうか?と言えば、どうもそうではありません。

多くの子供たちにとって、それは確かにそうかも知れないけれど、勉強をしっかりやるぞ!と言う意欲にはなかなか繋がらないように思います。将来への具体的なイメージがまだない子供たちには、今一つピンと来ない。と言うのが本当なのだと思います。

そこで、小学生や中学生、高校生の親御さんたちが、子供たちに勉強の意味を話してあげようと思われた時に、みなさんが生きて来た経験から良く考えながら子供たちに話して欲しいと思っているのが、「『学ぶ』『知る』『出来る』と言うこと」の意味や価値なのです。

『学ぶ』『知る』『出来る』と言う事に関して、実社会で生きていらっしゃるお父さまやお母さまには具体的な意味や価値を感じる経験や、その必要性を感じる出来事などが幾つも経験されていると思います。

その経験から本音として感じている勉強する事の意味を、色々な角度から子供たちと向き合いながら話して欲しいと考えますし、親として勉強して欲しいと考えている理由を『学ぶ』『知る』『出来る』と言うような『力』が生きる上で活かされる事を具体的に話す事は、とても子供たちが勉強に価値を見出すためには必要な話になる思います。

走り出す子供

私が家庭教師のお世話の際に、子供たちにそうした『学ぶことの意味』を出来るだけ噛み砕いて話しています。

子供たちは生きることや大人になることと勉強する意味の話をとても興味ありそうに聞いてくれます。そして、子供たちに『何故勉強して欲しいか分かった?』かを尋ねると、ほとんどの子供たちが『よく分かった』と言ってくれます。

子供たちには反応的に反発したくなるような「勉強しなさい!」の言葉を言うよりも、子供たちには大人達が実社会で経験して本心から必要だと思う勉強の話を欲しがっている。と考えて頂けると良いように思いますし、「勉強しなさい!」を止めてみると、子供たちへ話す角度が大きく変わって、子供たちの頭の隅にしっかり置かれるような知恵としての勉強の必要性の話をしてあげれるようにもなって来ると思います。

子供たちには1番身近な信頼する大人であるお父さまやお母さまの経験や本音を、生きるため必要な知識として受け渡して行くような気持ちで良いのだと思います。勉強はどんな形で子供たちの生きることに関わる力なのかを、それぞれの経験と価値観を元にして子供たちに知恵として種まきし、その芽が出るのを待ったり助けながら、芽が出たなら協力して育てて行くような取り組みが、子供たちが自分の意志で勉強に取り組もうとするためにとても大切なことだと思います。

新潟にお住まいで、新潟市や新潟県内で小学生や中学生、高校生のご両親がこの記事をお読みになって、もし、子供さんに真剣に勉強に向き合って欲しいとお考えでしたら、ぜひ参考にして下さればと思います。