新潟県で家庭教師たちと共に子供たちに勉強を教えて24年。私個人的には家庭教師の仕事を27年して来ました。新潟生まれの私ですので、新潟には当然ですが故郷としてこの地への愛着に強い思いがあります。
今日は勉強から少しだけ離れて新潟のことを考えてみたいと思います。
新潟には日本一大きな島佐渡があり、日本一長い川信濃川が流れ、日本一の米所でもあり、日本の国名がついたような鳥 Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)と言う学名のついたトキがいる。(当然ご存知と思いますが、今のトキは中国から頂いたもので、日本産の最後のトキは佐渡にいました。)
3つ新潟と言う地域が日本全体に誇れる事を上げてみましたが、新潟が誇れることって他には何でしょうか?
上杉謙信は戦国時代に「義」を重んじて「義」のための戦をしました戦国時代には稀で偉大な戦国大名ですし、高校野球では愛知の中京大中京高校と新潟の日本文理高校の試合は、思い出に残る決勝戦のベスト1位だったように思います。あの試合の9回2アウトからの5点は新潟県民のそれまでの高校野球に対する劣等感のよなものを吹き飛ばしてくれるような気がしてゾクゾクしましたね。
丁度NHKでは大河ドラマが「天地人」で直江兼続だったように思います。そして新潟国体があって、日本文理が準優勝の年は日本全体を新潟が支配してたような気がしてます。(笑)あの1戦も新潟県民らしい戦いのような気がして誇らしいです。
あとは、そうですね。戊辰戦争の越後長岡藩でしようか。
譜代大名として新潟の長岡にやって来た牧野家は、戊辰で徳川恩顧の大名が官軍に次から次へと寝返る中、徳川の恩義から、徳川へ弓を引くことをせずに、わずか7万石の長岡藩が諸藩合議制の国作りへとの意見するため、武装中立を諮り、結果官軍と戦火を交え長岡は焼け野原となりました。
太平洋戦争でも日本艦隊連合司令長官の山本五十六が長岡生まれのためB29の爆撃を受けて長岡は焼け野原となりましたので、江戸から昭和にかけて、日本で唯一2度戦火で焼け野原になったのが長岡ですが、長岡藩にも「義」の心が貫かれています。
こんな風に新潟を考えて行くと、新潟はとっても誇らしい場所であり、誇るべき人が生まれて生きて来た素晴らしい地域なのだなぁ。と思います。
そこで生きる新潟の子供たち。私は家庭教師の仕事をしてたくさんの子供たちとの出会いがありますが、みんな素晴らしく見所があるように思います。
どの子供たちも新潟の宝物です。私たちの後の新潟を引き継ぎ新潟を作り出してくれる大切な宝物だと思います。
その宝物である新潟の子供たちが、大人になって社会を担う時に「勉強して良かった。」「あの勉強が役に立っている。」
「頑張って良かった。」と実感出来るような学習経験をしてもらえるように将来にしっかり活かすことの出来る学習方法や勉強方法、勉強のやり方を手渡しして行く事が、私や家庭教師たちの仕事だと考えています。
私たち家庭教師が出来ることは、新潟の子供たちが学習経験を通じて、自分の可能性を信じれるようになってくれることや、諦めずに続けることで必ず結果に変わったり何かが残る経験や、知識の得る方法次第では物事の本質をしっかり掴む事が出来る事や、知識が増える事で間違わない選択が出来る経験など、子供たちが未来を切り開き作り出すために、とても大事で必要な学びの経験そのものを教えて行けることだと思っています。
新潟の子供たちに私たち家庭教師が出来ることをお話するために、何だか回り口説い話になってしまったように思いますが、家庭教師にしか出来ない学習方法や学習経験の伝授があります。
家庭教師のアズ新潟は、試験の得点などを上げることは勿論のことですが、高校や大学、社会でも活かせて活用出来きる勉強の要となる自学のために必要な学習の取り組みを家庭での学習を通じて教えて参ります。
もし、新潟にお住まいで新潟市や新潟県内で家庭教師をお探しのご父兄がいらっしゃれば、ぜひ、1度家庭教師のアズ新潟の家庭教師をご検討下さればと思います。
【参考記事】